ダダと呪文、呪文とそれが導くもの

魔女よもやま

Oriental Wicca Webの『魔女の質問箱』では方向性として、一般の方向けの出来るだけ幅広いQ&A集をめざしていますし、本サイトの 『Witchcraft101』では簡単なご質問に、としてあるのでこちらでは少し専門的な話もしたいと思っています。今回はかつて書いたものを題材に呪文についての話を進めていこうと思います。以下は私が2016年10月25日に書いたものの全文引用です。

(引用開始)

ダダ
知性には未来があるが
ダダには何の未来がない
知性の一つはマニアであるが
ダダはダダである

ダダとは「子供の馬」を表す言葉。
その無意味さがダダイズムの名の由来となった。

ツァラによって始まった、いや、初ったダダイズムは短命だったがシュールレアリズムという子供を遺した。

呪文を組み立てる時、韻を踏むことの大切さはいうまでもない。

和歌のリズムも、ソネットのリズムも、漢詩のリズムも
ありとあらゆる定型詩のリズムは

呪文のリズムだ

つまり

「こと葉のリず無」

が大切なのだ。

ダダはことばのリズムが「意味を超えた意味」を持つことを示している。
これは新たな呪文を創る者にリズムという意味を与えるのである。
意味を超えた意味こそが真の意味なのだ。

そして私の呪文の子供はシュールレアリズムとなり完結し始まりになる。

無論、リズムという言葉をどう書いてもいい。
表記法にも意味などないのだから。
だから無意味な表記で書けばいい。
そうすることはリズムはよりrhythmになるのだから。

閑話休題。

誰が仔馬に魔力が宿るといったのか?
仔馬には意味がないのに。

子供が発する仔馬に何の意味もありましない。
だから魔力が宿るのだ。

子供ことばの馬と仔馬にどんな違いがあるというのだ。

(引用終わり)

ダダイズムというと広く芸術運動、特に絵画や彫刻などに代表作があるが、実は元々は詩人のツァラが始めたものであり、文学運動としてのダダイズムがある意味その母体といえるのです。日本でも中原中也萩原恭次郎などダダイズムの詩人は存在しました。中原中也の詩はここで、萩原恭次郎の詩はここで『死刑宣告』を読むことができるので、ぜひどのようなものか見ていただければと思います。

さて、この引用文でも書いてあるように詩では「言葉のリズム」が大切です。そして優れた呪文はすべからく優れた詩にもなっています。そう考えると呪文とっても「言葉のリズム」がいかに大切かお分かりいただけると思います。

しかし、一度意味を固定して作られた呪文は、同時に既に意味が固定された詩であり、それゆえにその中で言葉は時や自由に踊ることができるのです。言い換えれば、一度意味が固定された呪文はその中で言葉をどのように変化(へんげ)させてもその意味を失わないのです。

魔女学校校長のひとり言へ

タイトルとURLをコピーしました