寛容さの話

魔女よもやま

寛容さというものは、人生経験が深ければ深いほど広くなるものです。逆に人生経験の深さに差があると、似たような価値観の人でも寛容さの広さや寛容さの幅や奥行きが大きく違ってしまいます。そうすると、同じ物事に対しての考え方の本質が同じだとしても、それに対する反応は大きく変わってしまいます。ここでいう人生経験の深さというのはもちろん単純な年齢の話ばかりではありません。同じ年齢でも無駄に年をとっていれば、つまり馬齢を重ねているだけならば、そこにふさわしい人生経験はついてきません。逆に年齢はそこまでではなくとも密度の高い人生を送っていれば人生経験は深いものになってきます。

またこの寛容さというのは精神的視界にも大きく影響します。寛容であればあるほど幅広くものを見る事ができますし、より先を見通すことができます。簡単に言えば大きな視点で見る事ができるのです。逆に寛容さが乏しければその視界は狭いものになって見えないものが多くなってしまいます。視界は広ければ広い方が良いのは当たり前のことです。と、いうことは、とそれを援用するまでもなく寛容さは広ければ広いほど、奥深ければ深いほど、幅広ければ広いほど良いのです。ここには反論の予知など全くありません。だから寛容さはどんなに年をとっても広げ続ける努力をし続ける必要があるのです。

私も若い頃、自分の見える世界が全てだと錯覚して不寛容な事を平然とやってしまっていたことが多々ありました。今思えば後悔と赤面しかないのですが、それでもそれが若さというものだ、と割り切らないと年をとれるものではありません。

さて、この寛容さが広がれば広がるほど、自分が受け止めたり、受けいれることができるものが増えてきます。そして誰にでもやがては訪れる「死」をも安らかな気持ちで受けいれることができるようになるのでしょう。そして自分が受け止められるものが大きくなれば、自分以外への寛容さはそれに連れて大きくなります。そしてそれは他人に対する敵意や嫉妬やその他諸々の負の意識を消し、素直に人を認められるようにしてゆきます。

そうした寛容さをより多く身につけた者こそが本当の意味での賢者なのです。だから魔女が年齢の高い人を受けいれることを歓迎する傾向があるのも講考えるとある意味当たり前のことなのです。

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