欧米の魔女というモデル

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当たり前の事なのですが、Witchcraftは西洋のものです。だから西洋の文化的背景や日本とのバックグラウンドの違いなどを理解して実践しなければWitchcraftとは似て非なるものになってしまいます。

Oriental Wiccaも「日本で実践するWitchcraft」という意識を強く持っていますが、ただ日本の伝統的なものを取り入れるとか、日本の季節的なものを感覚的に上手くすり合わせができるから採用するとか、というような形で日本的なやり方をすると結果として生まれてくるのは「着物を着て万里の長城でヨーガを行うようなおかしな日本人像のような魔女像」ができて終了となってしまいます。

ですから当然自分たちの伝統云々の前にモデルとしての「欧米の魔女」を意識するのは当然なのです。ところが、意外とこの『モデルとしての「欧米の魔女」を意識する』ということが理解できない日本人が多いのも事実だと長年色々な日本人の魔女たちを見ながら思っています。この事は私の友人のベテラン魔女も全く同じ感想を持っていて、やはり、長年日本の魔女やその世界を見ていると同じ感想に行き着くものだと実感もしました。

とはいえ、実はこの事は多くの日本人(魔女であるか、どうか、魔女志願者であるかどうかすら置いておいて日本人一般)にとって結構難しいだろうと私は思っています。まづ、自覚的信仰を持っている人が少なく、仮にあったとしても下手をすると奇異の目で見られるという日本の宗教事情において、キリスト教圏をはじめとする宗教を前提とする社会と日常というのは仮に頭で理解できてもなかなかに実感はしづらいのではないかと思うからです。私の場合、中学生の頃に信徒として、成人してから教養としてキリスト教もそれなりの年月、真剣に関わっていたので、すんなりその辺理解しましたが、あの経験がなかったら理解が難しかったと思います。

また「モデルとしての欧米の魔女」という言い方をしましたが、日本人はこの「モデルとして」というのが苦手だと思います。日本人はどうしても「モデルとは似て全く非なるお手本」と解釈してしまう傾向があるからです。モデルというのは一つの見本みたいな感じでしかありません。ところがお手本というと「それが絶対」という様な強制力を持ったモデルになってしまうのです。これでないと絶対ダメ、みたいな感じになってしまいがちなのです。

だから、「モデルとして」という形で、そしてそれをベースに自分と比較して自分の有り様を考え、そこでまた比較して……というような本来のモデルの役割をそうしたモデルに求めないで絶対のお手本という解釈をしてしまいがちなのです。だから、それに対して絶対的に従おうとするから反発するか、というような態度に出やすくなってしまうのです。

そもそも日本人には「絶対のお手本」を求める傾向が結構ありますから仕方がない面はあります。書道、剣柔、道道など、学校教育に「道」つくものが日本の場合結構入り込んでいてその世界がまづ「初心者はお手本絶対」をどれもたたき込みます。そしてそのお手本を先づ身につけ、その上で守・破・離として達人の域に行くわけですが、ほとんどの日本人は「最初の守の途中止まり」だと思います。もちろん、私も専門外の事に関してはそうです。

これもこの「モデルという考え方」が上手にできないことに結構影響していると思います。何と言っても江戸時代からの日本の教育の伝統なのですから。そしてそれが国内のものを扱っている分には良い方に働く場合が多いのですが、いざ外国の文化に対すると、いきなり最悪の方向に働くというケースは極めて多いと思います。

私たちは誰が何といおうと、自分がどう思おうと日本でWitchcraftを実践しているということを否定できません(外国からこの記事を読んでくださっている方がいらっしゃいましたらすみません)。そして、インターネットがこれだけ当たり前になった今日本の教育の呪縛や、日本的な発想に閉じこもって外国のものを理解しようというような「精神的鎖国」をしている余裕など本当はありませんし、それが許容されるはずも本当は無いのです。そんなことはないと思っているとしたらそれは現実から目をそらしているか逃げているだけに過ぎません。

夏目漱石「それから」』に次のような一節があります。

『無理にも一等国の仲間入をしようとする。だから、あらゆる方面に向って、奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。』

という一説があります。当時の日本は西洋列強に対して追いつけ、追い越せに必死で西洋文明や文化の「形だけ」を輸入してその「心」は輸入しなかった、というかできなかったのです。そして、それは今も対してかわりありません。

さて、漱石の英語力は帝国大学でラフカディオ・ハーンの後を継いで初の日本人英語教師として教壇に立ち、非軍人として最初にイギリスに留学した経験を持つなどまちがいなく国家に最高レベルと認めさせるもので、現代の我々から見ても相当なものだったと思われます。

しかしそんな漱石の嘆きとして知られているものに

『英詩の本当の所はわからず、漢文の勉強に注いだ時間のほどはしれているのに、漢詩のわかりようは英詩の比ではなかった』

というのがあります。

狩野内膳(1570年~1616年)「南蛮屏風」(神戸市立博物館蔵)
夏目漱石(1867-1916)

当たり前ですが、人間は自分の育った言葉や環境でものを考えます。だから漱石ほどの人でも英詩というイギリス人の文化やそれを背景にした心の理解には英語の達人であったからこそ、全く自信が持てないということを実感していたのでしょう。でも、今は違います。ネットにつなげばお茶の間でもネイティブとの会話が簡単にできます。漱石がこの状況を見たら(漱石でなく私ですら)今の若者がうらやましくて、涙を流して悔しがることでしょう。今の日本人なら西洋文明の中に息づく「心」を輸入することもできるはずです。

もちろん、それでも私は(精神的鎖国をしたまま)「我が道を行く」という日本人魔女もいるでしょう。それはそれでいいと思います。昔のアメリカ映画の日本人像のような「面白い魔女」になるだけのことですし、それは私とは関係のある話ではないからです。

ただ、私より若い人たちには、せっかくこんなに恵まれた、そして世界を手元に引き寄せることができる時代になっているのですからどうか正確に日本語を扱いつつ、積極的に「精神的開国」をして「欧米の魔女たちをモデル」にしながらおかしな日本語の魔女ではなく「本当の日本人魔女」になってほしいと心から思っています。

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