日本語で「魔女」といったときにとんでもなく幅広いものを指すことはこれを読んでくれている人ならよく理解されていることと思います。今回は私が昔、あるサイトのために書いたものを手直しする形でこのことについての話をすすめようと思います。
ヨーロッパで魔女を意味する言葉には多くの国で国教や国境に準じる「キリスト教に敵対する者」としての意味で、否定的で悪意に満ちた、マイナスの意味を持つ言葉とされています。
しかし、日本語の魔女という言葉にはそもそも英語のwitchや独語のHexeなどが本来持っているマイナスの意味がありません。それは当たり前の話で、日本にはキリスト教が定着していない(※1)ので、キリスト教の考え方の中でのみ意味を持つ悪のイメージが「日本語の魔女」にはないからです。
それどころか日本ではこの魔女という言葉、1961年の欧州遠征で22連勝した大松博文監督率いる、日紡貝塚女子バレーボールチームのニックネームとして使われた「東洋の魔女」が最初のメジャーな使い方といってもよいでしょう。そしてこのチームを主体とした全日本で挑んだ1964年の東京五輪では圧倒的な強さでの金メダル獲得はまさに伝説となったのでした。(あらゆる意味で今年の東京五輪とはまるで違う素晴らしい大会だったと思います)
日本は明治開国から「ヨーロッパに追いつけ、追い越せ」をスローガンに富国強兵を行い、米英仏伊と並ぶ五大国の座につきました。しかし、大東亜戦争で歴史上初めての敗北を味わい、いきなり敗戦国へと堕ちてしまいました。日本人はこの敗北ですっかり自信を失い「自分たちは欧米の白人国家(※2)には勝てない」という暗い気持ちに覆われてしまっていました。
そんな中、戦後の経済発展や徐々にではありますが国際社会への復帰(※3)をし始め少しづつ自信を取り戻していった中で、圧倒的な体力と体格差のあるソ連に日本がスポーツで勝利し金メダルに輝いたのです。日本中がこの勝利に沸き返り、日本人の誇りを少なからず取り戻してくれたのです。こうしたイメージの中で「日本語の魔女という言葉」は定着したのですから日本で魔女という言葉にマイナスのイメージが付くはずがありません。こうして日本では「魔女」という言葉は魅力的な言葉として定着していったのです。
さすがに男性が魔女に憧れる、という事はないのですが、日本では女性の魔女志願者の場合「魔女とはどんなものか?」という事をあまり深く考えたり、冷静に考えたりすることなく、ただただ「魔女という言葉の魅力」に引き付けられて魔女を名乗りたい、魔女と認められたい、という人も多いようです。しかし、これはこれで「魔女という言葉」が日本人にどう受け止められてきたかを考えれば特に不思議でもない話です。
また、スコット・カニンガムを筆頭としたニューエイジウイッカなどが1980年代にアメリカで発展し、ある意味何でもありの魔女が大量に生まれました。カニンガムの本は2014~2016年にたて続けて翻訳本が出たので書店で見かけたことがある人もいるかもしれません。(※4)もっとも、彼の本は1990年代初期に既にいくつか翻訳されていたのですが当時はほとんど注目されませんでした。しかし、こうしたある意味「何でもあり」の魔女が日本に輸入され、ますます日本での魔女像は欧米のものとは異なった発展をしていきます。
そうした中で1966年の「魔法使いサリー」をスタートとする魔法少女アニメやそれから派生した漫画、少女小説などで展開される魔女っ子、魔法少女などが加わり、さらに魔女のイメージを広げていきました。また「魔女は憧れの存在」というようなイメージで毎週テレビアニメが放映され、女の子を対象にした子供用のグッズが販売され、これは現在でも安定した売り上げを持っているおもちゃのジャンルとして確立しています。こうした子供たちの魔女のイメージは「魔女っ子ごっこ」のアイテムを提供する玩具メーカーや近年ではという大人の後押しをへて、より強力なものとして育てられてきたのです。子供の頃から「魔女は素敵なもの」「魔女は憧れる対象」というイメージで語られる環境に囲まれた少女たちがやがて成長していく中で「魔女に憧れる」という気持ちになっても不思議なところは全くありません。おそらく日本人の場合「人生最初の魔女との出会い」は男女共におとぎ話かこうした魔女っ子アニメ等という人がほとんどではないでしょうか。
こうして欧米のキリスト教圏では常識である本来の「汚らわしい存在」「忌むべき存在」「憎まれるべき存在」といったマイナスのイメージにあふれたwitch、Hexe等が表す魔女のイメージとは全く無縁の「憧れられる存在」としての「日本語の魔女」が創られてきたのです。
その結果「日本語の魔女という言葉の表す意味を英訳すると、本来のwitchとはまるで違ったものになってしまい、この2つの言葉をイコールでつなぐのは既に無理がある」という状況になってきていることは間違いありません。ある意味「魔女」は日本で独自の進化をしていったと言えるでしょう。
また「どの魔女が本物か?」という話をネット上ではよく見ますが、こうした「日本語の魔女」という言葉の持つ良いイメージを利用して、詐欺的な方法で大金をせしめようとしている商業的魔女でさえなければ「日本語の魔女」でどれが本物で、どれが間違い、ということはないのではないかと思います。それこそ伝統的なWitchcraftの魔女やWiccaの魔女等の宗教的な魔女からコスプレをして魔女を自称する魔女まで「日本語の魔女」ならばある意味なんでもありですし、それを否定する必要も否定するべきでもありません。
今となっては恥ずかしい話ですが、かくいう私も若かった頃は「宗教的な魔女以外は魔女を名乗らないでほしい」という様なある種の原理主義に陥っていたこともありました。しかし「日本語の魔女」という言葉の持つ多様性を誰もが受けいれて、その上で自分たちがどのような魔女なのかを規定していくことが本当は大事なのです。
※1 文化庁の統計によるとキリスト教(この中にはカソリック、プロテスタントなどの本来のキリスト教各宗派が異端としている本来のキリスト教徒は無縁の新興宗教も含みます)の日本国内信者数は195万人で信仰者割合としては1%。これは2016年の統計だが、戦後のキリスト教信者の日本人の中での割合は大体変わらず横ばいで、これは今後も変わらないとみられています。
※2 アメリカは多民族国家ですが、少なくとも当時は白人主体で国家が動いていたので白人国家の一つに数えて間違いありません。
※3 当時はまだ沖縄はアメリカに占領されていましたし、中国とも国交がありませんでした。
※4 誤訳がそこそこ多い上に、魔女のことをよく知らない人が訳しているので大事な所がめちゃくちゃな記述になっていて、原著とはかなり異なる内容になってしまっています。ちなみに1990年代に出されたものや、それ以降のものも翻訳はめちゃくちゃでした。